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執筆者の写真ポジティブ・ディシプリン コミュニティ

「なぜ子どもはこんなことを言うの!?」



親子ケンカ

我が家のよくあったパターンは、

私が子どもに注意する

⇨子どもがカッとして、失礼な言葉乱暴な言葉を言う

⇨子どもの言動に腹を立て怒る

⇨私の態度に刺激されて子どもが我を失う

⇨子どものカッとした後の言動を叱り続ける出口のない戦い

という風に

子どもの発する「言葉」が親子の衝突の中心になることでした。

言葉には言霊がある、という考えもありますが、一方で

○言葉は人間が人為的に作り出した記号である。

○言語はある特定の指示対象を象徴しているにすぎない。

とも定義されています。

子どもが叱られて、ストレスがかかっている場面で発する言葉は、子どもの言い分を理解するための記号でしかないと言えます。

例えば

子どもに「クソババア」「死ね」と言われたことから考えてみます。

「クソババア」のとき、まず私がどのように受け止めるかというと

私はカッとしてムカムカイライラします。なぜだろうと紐解いて行くと、

「クソババア」ってことは

「ババア」って、親密な関係にない名前の知らない歳とった女性のことだから、「アンタなんか親じゃない!親とも思いたくない」と言われたような気がします。

「クソ」については

汚らしいとして軽蔑していて、人間としての敬意も持てない相手、という感覚で私は受け止めます。

(念のため、生物としての「排便」の機能に対してはそんな風に思っていませんよ😄)

だから「クソババア」は、

親としての責任を引き受け、子どもに時間も体力も心もかけて育てて来たと思っている私には、とてもショックです。

加えて、つい数年前には「ママ大好き」とラブラブだっただけに、その格差には、裏切られた感覚からより一層の傷つきと怒りになります。

けれども、子どもが言葉を発する時、その言葉は、私が受けるような意味を意図して伝えてるわけではありません。

「死ね」という発言について、時間がだいぶ経ってから、子どもに意図を尋ねたことがあります。すると

「もう嫌だから、どっかに行って」

の感覚だそうです。

なるほどー😳

goo辞書でも「死ぬ」の意味として

>動きなどがなくなる。

って書いてある‼️

つまり「死ね」と子どもが言った時、

「もうこれ以上責めないで。叱らないで。動かないで。そっとしておいて」

と言いたいのかもしれません。

実は、言葉の意味に関して

小学校になってようやく、漠然と大雑把に知っている(例えば「嫌な感じ」とくらい)レベルから、

互いに似通った単語の意味の違いを区別し、正確に理解し始めるのです。

先ほどの例とは単語が変わりますが、実際の調査で

「よごす」という言葉の意味を子どもに尋ねると

 小学1・2年生では「よごす」の意味の選択肢から「ドロで遊ぶ」と「汚くする」は同程度(5割)の割合の子どもが選択しました。

「そんけいする」では、

 小学1年生は「心から立派だと思う」と同じくらい「すばらしくて驚く」を選択しています。

単語を越えて、概念の理解まで調べて見ますと

小売店や銀行が利益を生む仕組みについては

小売店の利益の仕組 は、小学5・6年生の段階でほぼ十分な理解。これに対し, 預金金利と貸出金利の差から銀行の利益を説明するという理解は,中学生では無理で,大学生でも半数程度しかできない、ということでした。銀行はお金を預かるところだと思っていて、貸し出しで儲けていることは知らないんですね。

このように、言葉は記号であり、養育者と子どもでは、持ってる意味合いが違っている可能性があります。

子育ての話に戻りますと

例えば、2歳の子どもが話す言葉「やだ」「ダメ」「ばか」(二文字で使いやすい!)は、

2歳の子が描く絵のように、


子どもが描いた絵

大雑把に何かを~例えば不快感や無力感~を伝えていると考えていいのかもしれません。

そこを、子どもの表現力を磨けるよう、「こうなのかな?」「もう少し教えて」と話を聞いたり、

代弁して様々な表現法を聞かせることによって、段々と言語的なコミュニケーション能力が育つでしょう。

絵が上手くなるのに、指先の発達、視覚の発達、認知的発達が必要なように

言葉にも、心身の発達が必要だから、同じように時間がかかるでしょう。

でも、子どもが話を聞いてもらうことにより表現力を磨いていけば、

ちょうど写実的な絵で自分が見えてる世界をよりリアルに表現できるように、

言葉で自分を説明して、相手に理解してもらいやすいコミュニケーションが取れるように発達していきます。

「なぜ子どもはこんなことを言うんだろう」

そう思った時、言葉そのものに反応する前に

子どもがその言葉(記号)で何を伝えたいか、言葉の裏側の考え方・感じ方に注目してみると

言葉の応酬とは違う

理解の応答が、親子の間に始まるかもしれません。


子どもたちを描いた絵

参考・引用:

髙橋登(2006)学童期の語彙能力 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcomdis2003/23/2/23_2_118/_pdf

栗原久(1992)経済的社会化研究の成果と経済教育 https://www.jstage.jst.go.jp/article/socialstudies/1992/66/1992_1/_article/-char/ja/

深田博己(2012)『インターパーソナルコミュニケーション』(株)北大路書房

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