暴力も罰もいらない前向きなしつけ『ポジティブ・ディシプリン』は、どんな考えが基になっているかと言うと、
数十年に渡る子どもに関わる研究と『子どもの権利』の原則からです。
子どもに関する研究というと、養育方法と子どもの育ちの関連や子どもの心身の成長の仕方、脳の発達と、イメージが湧きます。
でも、『子どもの権利』とは一体なんなのでしょうか。
調べると、『子どもの権利』とは「子どもの権利条約」によって国際的に保障されている権利だと行き着きます。
実は今年は、国連で『子どもの権利条約』が制定されて30周年。日本が条約を批准して四半世紀❗️
そんな『子どもの権利条約』メモリアルイヤーですので、
『子どもの権利』について特集したいと思います。
『子どもの権利』の考え方は、様々な場面に応用できるので、
池田と落合で思い思いに記事を書いていきます。
私が『子どもの権利』に出会った時、何だか不安な感じがしました。
なぜなら、『子どもの権利』と言われると、なんか子どもだけに特別に権利が与えられ、親である自分の立場が弱くなる気がしたからです。
ですから、一体どういうものなのかと、各条項を確認してみることに。見てみると
「ウンウン。これは当たり前よね。」とか
「ウンウン。言われてみると確かにそう。」
と思うものが多かったです。
この条約の特徴とも言える第12条をご紹介したいと思います。
締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
スウェーデンで子ども用に発行されている本では、以下のように、わかりやすい表現で書いています。
「子どもだって自分の考えていることをいう権利がある。おとなは子どもの意見をちゃんと聞いて。家庭、学校、役所や裁判所で子どもに関係のあることを決めるときには、子どもの意見を大切にしなければいけない」※1
憲法学者の永井憲一さん※2は
「この権利は、少なくとも、子どもに影響を及ぼすすべての事柄の決定過程に子ども自身を参加させ、そのなかで子どもの”最善の利益”(三条)が確保されるため」
の過程を述べたものだと説明しています。
この権利の持つ良い効果として
・子どもに固有の権利を発見する大人の努力が生まれること
・子どもは失敗を繰り返しながら発達するわけで、それをおとなに寛容に認められるのが子どもの”最善の利益”であり、いつしか責任を持って自分の意見を表現できるよう子どもが育てられるようになること
と言っています。
私の経験でも確かにそうでした。
ポジティブ・ディシプリンのファシリテーター養成講座で、マスタートレーナーが
「赤ちゃんが泣くのも意見の表明の一つですよね。赤ちゃんが泣いて憎らしいと思ったら、それはかなり追い込まれている状況。助けを呼んだ方がいいです」
と話したことで、気づいたことがありました💡
私は、「意見」と言えば、
手をあげてから、自分の考えをみんなに分かるように正当に主張すること
というイメージを持っていました。
でも、年齢に応じて考えると、そんな固い話ではなく
泣いたり、怒ったり、かんしゃくを起こすことも意見なんだと気づかされました。
それまでは、子どもがかんしゃくを起こしてわめくのを、「ちゃんと説明できないで、八つ当たりしてきてイヤ」と迷惑だと感じていました。
けれど、実はこの子はこの子なりに、感情を支えに不快感を発散して自分の意見を表現している。
これは「私の話を聞いて」とか「私がやりたいのはそうじゃない」「どうしたらいいか分からない」という意見が込められていて、感情のコントロール力が鍛えられていないうちは、かんしゃくで表すのは当然なんだと受け止めるようになりました。私は「年齢及び成熟度に従って」、言い換えれば子どもの心身や脳の発達の段階を理解することで、「子どもはちゃんと泣くことで意見を言っている。言葉で落ち着いて説明できるように、私が教えていくことは…。」と子どもに関われるようになりました。
子どもが大きくなればなったで、子どもの意見表明の権利を尊重すると
正直面倒だと感じることもあります(笑)私の思い通り進められないから。
でも一見「面倒」に見えることって大切なことだと感じます。
例えば、結婚だって、結婚したことのない人が「面倒」と言っているのを聞きます。でも、実はうまく行くと生活は安定して温かく、自分以外の世界観が生活に彩りを添え、未来にも可能性が広がります。
赤ちゃんを育てるのだって、目の前に赤ちゃんがいない状況で考えてみると
「大変だよなー。よくあれだけの面倒をみたな」と「面倒」を感じます。
そう言えば、彫刻って石や木をずっと削り続けて作るんですよね。すっごい「面倒」だと思います。
けど、新しい形を創造する時、関係が創造される時、必ず面倒なことがあります。
「面倒」というよりも「手間」と言ったほうがピッタリですね。
「手間」とは、仕事を仕上げるのにいる労力・時間という意味です。
子どもが自分の意見を言え、同じように人が意見を言うのも受け入れて、建設的な話し合いができるようになるのは、学校の学活活動だけではムリでしょう。
大人が子どもの意見を聞き、意見が大切にされ、意見により環境を変えられる経験をすることが必要です。そのためには、家庭でも意見を聞く手間、意見を酌み取る手間、意見を踏まえて子どもと交渉する手間、交渉ででた解決案を試す手間がかかります。それは、「自分の意見を言える人」に仕上がるために必要な労力と時間だと思います。
ポジティブ・ディシプリンでは、効果的な子育ての法則を4つあげていますが
その一つに『子どもの考え方・感じ方を理解する』があります。
この観点を説明する時、私はよく以下のように説明します。
シェフは、食材のことをよく理解していればこそ、素材の持ち味を生かした料理が作れる。
大工さんも、木など材料のことをよく理解していればこそ、素材を生かして快適で丈夫な建物を建てることができる。
子育ても、子どもの考え方・感じ方を理解すればこそ、その子の持ち味を生かした子育てになります。
ちょうど法隆寺の宮大工棟梁の西岡常一さんが、似たようなことをお話しされたそうです。
「一人ひとりの個性や癖を見抜いて育てる教育をせな。そりゃ、教えるほうも教わるほうも根気が要る。時間はかかる。そのことに耐えないけませんわな※3」と。
こんな風に
私にとって、『子どもの権利』の原則は、子どもに対する自分の考え方を吟味する機会を与えてくれました。
子どもという存在を、「私が産んだ子ども」から脱皮させて、「一人の人間である存在」として尊重する視点を得ることができました。そして一人の人間である子どもは、時間と手間と根気を持って仕上がっていくことを受け入れています(ワンオペ育児のような一人で子育てはムリ!時間と手間と根気は、チームで分かち合わないと、一人じゃまいっちゃいます)。
具体的な子育ての変化としては、私は子どもの成長のステップを学び、発達の順番的にできないこととできるだろうことを知り、子どもが自分でできるようになるのを待ったり、励ますようになりました。
私たちは、自分が以前子どもだったから、よく子どもを知っているような気がします。でも、覚えていないこと、大人から聞かされた話にすり替わっていることも多いでしょう。加えて、子どもの時に見た世界は、自分の家庭が主で、とても限定的な情報かと思います。
改めて、世界的な視点である『子どもの権利』から子どもという存在と子育てを考えてみませんか。
注意:この写真の訳者「池田香代子」さんは、「池田詩子」と「落合香代子」と関係はございません😄
※1『子どもの権利 小学生向け』 日本評論社
※2『新解説 子どもの権利条約』 日本評論社
※3『ゆとり・楽しみ・アニマシオン』 労働旬報社