連載しております「子どもの権利」特集第3弾 です。
第3回目は、「子どもの権利」はどこから?「子どもの権利」とコルチャック先生 です。
皆さんは「子どもの権利」という言葉をいつ知りましたか? お仕事で使われる?学生の時?それとも最近でしょうか。
私がこの言葉を初めて知ったのは学生時代だったと思いますが、
改めて意識したのはここ7年くらいのことです。
「子どもの権利」という言葉とその主張を改めて聞いた時、
「え?子どもに権利?なんだか居心地の悪い響きだな・・・。」と思ったことをよく覚えています。
ポジティブ・ディシプリンは「効果的な子育ての研究」「子どもの発達」そして、「子どもの権利」の考え方に基づいています。
初めてこの言葉を意識した時に、居心地が悪いと思った「子どもの権利」という響き。
今では、私の子育ての大切な指針になっています。
「子どもの権利」とはどのようにして生まれたのでしょうか。
今日は少しご紹介したいと思います。
まず、こちらの詩をご紹介させてください。
2つの”生”があるらしい
彼ら、大人の尊い、立派ないのち
ほんとうの人生
そして
僕ら、子どもの見せかけだけの、いのち
大人の楽しみのための人生
小さくて、かよわい子どもは、大人にとっての
気晴らしにすぎない
こんな浅はかな考えがどこから生まれたのか
子どもは未来の人間にすぎないなどと
いつか存在に値しようなどと
いま、現在まるで存在しないかのような
これは何を意味するのか
子どもたちは生きていないのか
子どもたちは何も感じていないのか
子どもたちは悩まないのか
大人のように
「コルチャック先生」より 近藤康子 岩波ジュニア親書
「子どもの権利」とは、
子ども一人一人が尊重されるべき一人の人間である、子どもと大人は対等である、という考え方です。
1989年、国連で制定されました。
この「子どもの権利」の条約制定を提案したのは第2次世界大戦中に600万人の国民、うち子どもが200万人も亡くなったポーランド政府でした。
ポーランド政府が「子どもの権利条約」の制定に尽力したのには、理由がありました。
それは、大戦中に子どもを守り続けたポーランドの一人の小児科医師の存在でした。
その小児科医師は、第2次世界大戦期にポーランドで生きた ヤヌシュ・コルチャック(本名 ヘンルイック・ゴールドシュミット)です。
コルチャックは、子どもの権利条約の基本となる考え方、を発案した人、実践した人として知られます。
児童文学作家、ラジオのパーソナリティや教育者としても活躍したコルチャックはコルチャック先生と親しみを込めて呼ばれ、ポーランド中の人が知られた存在でした。
度重なる戦争と繰り返される革命という激動の時代にあったポーランドで生きるコルチャックは、厳しい生活の中で社会の底辺にいる子どもたちに学校と家庭の役割を持つ「ホーム」を運営します。
ホームには約200名の子どもたちが暮らしていました。
ホームの中にはもちろん勉強を教える先生や、お世話をしてくれる大人がいたのですが、コルチャックは「子どもたちの自治」によってホームでの子どもたちの共同生活を運営していたのです。
ホームには、子どもたちによる「子ども議会」「子どもの裁判」「子どもの法典」という3つの柱になる活動がありました。
そして、ホームで何か問題が起こったときに、子どもたち自身が自分たちで助けて子どもを立ち直らせていく指導委員会を運営していました。
映画「コルチャック先生」の中では、この子どもたちの生活の様子が豊かに描かれます。
あるシーンでは、子ども裁判にかけられた先生が、怒ってコルチャックに文句を言う場面があります。
コルチャックは、子どもの自治を大人が尊重すること、子どもは大人と同じように、自分の考えと判断を持っていること、そしてその判断をサポートすること、信頼することが大人の役割であることを諭すのです。
今から70年くらい前の第二次世界大戦当時、
子どもたちは大人の生き方に翻弄され、
時には大人と同じように働かされ、
子どもであっても子どもとしての生き方や考え方を尊重されることのない生き方を強いられることもありました。
(写真:1948年のシカゴにて)
今でも世界にはそうした子どもの生きる権利が守られていない文化や環境があります。
私たち、日本の国ではどうでしょうか。
日本でも「子どもの権利条約」に批准しています。
しかし、子どもが自分の意見を伝え受け入れられ、自分の意思で自分を律していくことを「良し」としてもらえる環境が十分にあるでしょうか。
大人になった私たち。
私たちもまた、自分が子ども時代にこの子どもの権利について身を以て体験してきませんでした。
私も「子どもの権利」と初めて意識した時に、
「子どもに権利・・・?」と違和感を覚えたのではないかと今は思います。 今年は「子どもの権利条約」が制定されて30年のメモリアルイヤー。
2019年2月7日、相次ぐ子ども虐待死亡のニュースに、国連子どもの権利委員会は子ども虐待対策強化を日本政府に対策強化を求めました。
今、日本国内でも、相次ぐ子どもの虐待死に対して、対策の強化を大勢の人たちが願いはじめました。
子どものすこやかな成長を、社会全体で大人一人一人が守ることを約束するものにしなくては、と強く思います。
さて、第二次世界大戦下の中で、200名もの行き場のない子どもたちを支え続けたコルチャックですが、
1942年200名の子どもたちとともにトレブリンカのガス室で最期を迎えます。
非常に著名で尊敬されていたコルチャックは、特赦を受け、その命を助けられる処遇を打診されますがそれを断り、子どもたちともに最期を迎えました。
コルチャックと200名の子どもたちがトレブリンカ収容所に送られる様子が絵や銅像になって、今でも街に残っています。
ガス室に入るときに、子どもたちが怖がらないようにと、子ども達と一緒に歌を歌いながらガス室に入ったと言われるコルチャック。
最後まで、子どもと共にあり、
子どもが子どもらしくある尊厳を守り、養育者として、子どもを守る大人としてのモデルであり続けました。
「僕ら、子どもの見せかけだけの、いのち
大人の楽しみのための人生
小さくて、かよわい子どもは、大人にとっての
気晴らしにすぎない」
私たち日本の社会全体は、そして一人一人の大人として、
目の前の子どもたちにどのように向き合うのか。
「子どもの権利」という考え方とどう向き合うのか。
そして、社会の中で子どもどのように守るのか。
コルチャックの生き方からもまた、
考える機会をもらっていると強く感じています。
参考文献 コルチャック先生 岩波ジュニア書店
映画「コルチャック先生」